第七號
化物飼い
よく肥えた嘘は、法度より強い
4,830字#時代#伝奇

一
わたしの生まれた藩の名は、伏せておく。三万石に足らぬ北国の小藩である。城下はいまでは郡の小さな町になったが、藩公の御子孫も、わたしの縁者も、まだあの土地に暮らしておられる。読み進めば、伏せる訳も知れよう。
家は代々、妙な役を勤めた。禄は三人扶持。帳簿の上では山方見廻役という、あってもなくてもよいような名目だが、城の奥向きでは別の名で呼ばれていた。
化物役、という。
化物を退治する役ではない。あべこべである。領内の化物が絶えぬよう、また肥えすぎぬよう、飼うのが勤めであった。
たとえば城下の東の、鵜ノ木淵。川が岩に突き当たって淀む深い淵で、昔は年に一人二人、水練の子供が沈んだ。高札を立てても、子供は字を読まぬ。読んだところで、法度というものは、破ってみせるのが子供の手柄である。そこで淵には濡れ女が棲むことになった。髪の長い女が水の面から手招きをする、招かれて覗いた者は、水の中の己と目が合うて引き込まれる——祖父の祖父の、そのまた前の代の化物役が拵えた嘘だと、帳面にある。以来、鵜ノ木淵で死ぬ子供は絶えた。嘘が、高札に勝ったのである。
化物は放っておくと痩せる。噂は生き物で、餌をやらねば忘れられ、忘れられた化物は人を守らぬ。だからわたしの家は、梅雨の前になると淵に瓜を流した。上流の子供らが見ている刻限を選んで流す。瓜は淵で一度沈み、思い出したように浮く。それだけで、その夏の濡れ女はよく肥えた。旅の座頭や、六部の類が城下に入れば、それとなく酒を振舞い、語り賃を包んで、化物の噂を語らせた。いちばん効くのは子供の耳である。子供の耳に入った化物は、その子が爺になるまで生きる。
肥えすぎても困る。ある年、峠の化物が肥えすぎて、麓の村がひとつ、山を降りると言い出した。そういうときは間引く。あれは狢の仕業よ、と笑い話をひとつ混ぜてやるのである。化物は、嗤いにいちばん弱い。
「化物は嘘だ」と父はよく言った。「だが、嘘にしか守れんものがある。よく肥えた嘘は、法度より強い」
家には帳面が一冊伝わる。化物帳と呼んだ。領内の化物が一匹に一項、黒と朱の二色で書き分けてある。黒い字は拵え——いつの代の誰が、どういう筋の嘘をこしらえたか。朱の字はまこと——その嘘が、何を守っているか。鵜ノ木淵の項なら、黒字にびっしりと濡れ女の由来が並び、朱はただ一行、「淵、子を呑む」とある。
「黒は嘘、朱はまことだ」と父は言った。「世間とは、あべこべにできとる」
わたしが十九の年に、父は卒中で倒れ、三日で死んだ。引き継ぎは半端に終わった。それが後々まで祟ったことは、追い追い書く。
二
継いで四年目に、天保の飢饉が来た。
領の南に、樒峠という峠がある。越えれば隣領の湊まで五里、越えなければ川沿いを回って二日がかりになる。この峠には百年前から大入道が出た。月のある晩に峠へかかると、行く手の尾根に人の形が立つ。近づけば遠のき、遠のけば追ってくる。見上げるほどに伸び上がり、しまいには月へ届く——帳面の黒字は、そういう筋である。朱はただ一行、「道、崩れやすし」。
天保四年、作は半分に落ち、隣領の湊には買い付けた米が着いていた。回り道では牛が保たぬ。庄屋たちが雁首を揃えて頼みに来た。あの峠を、開けてはもらえまいか。
わたしは夏のうちに峠を検分した。道は乾いて堅く、崩れの跡はどれも古かった。朱の一行は百年前の話だと思った。若いわたしは、化物を一匹、殺すことに決めたのである。
殺し方は心得ていた。晒せばよい。月の晩、庄屋と若い衆を峠へ連れて上がり、尾根の大入道を指さして、種を明かした。尾根の一本松が月を背にすると、人の形の影を谷へ投げる。人が歩けば影も動く。それだけの絡繰である。皆で笑った。化物は、嗤いにいちばん弱い。
その冬、峠は米を通した。牛が列を組んで越え、領内に餓死者は出なかった。庄屋は俵を担いでわたしを拝み、若い衆は、化物より偉い、とわたしを囃した。悪い気は、しなかった。
彼岸をすぎた雪解けの晩、峠が崩れた。帰り荷を運んでいた人夫が三人、道ごと沢へ落ちて死んだ。
帳面を開いた。朱の一行の下に、さらに小さい朱で、父の字があった。
「崩れは春に限る。夏に検分する者、必ず欺かる」
わたしは、夏に検分した者である。帳面は読んでいた。読めては、いなかったのだ。
三人の弔いの晩、化物というものの正体を、わたしははじめて知ったように思う。化物は、おらぬから恐ろしいのである。おるものなら、斬れば済む。おらぬものは、殺したあとで人を食う。
翌年から、わたしは大入道を飼い直した。一度死んだ化物を生き返らせるのは、拵えるより難しい。種明かしを見た者が、まだ生きているからである。わたしは筋を書き換えた——あの晩に皆が笑った影は、なるほど松の影よ。だが本物の大入道は、笑われたあの晩から、松の影に隠れて立つようになったげな。人が種明かしに使った嘘ほど、化物にとって良い隠れ蓑はない。三年かけて、峠は元の通り、春は誰も通らぬ峠に戻った。

三
化物帳の終いに、一項だけ、黒字のない化物がいる。
領の北の外れ、夜啼谷。項にはただ、朱で三行。
「夜啼谷のもの。拵えにあらず。六月十五日、谷口に膳七つ。絶やすべからず」
土地の者は誰も谷に入らぬ。夜、女子供の啼く声がするという。誰が聞いたのかと訊ねると、皆、聞いた者から聞いたと答える。噂ばかりが古びて、種がない。ほかの化物なら、種は必ず黒字にある。夜啼谷にだけ、黒がない。拵えた嘘でないのなら、あれは、何なのか。
父に一度だけ訊ねたことがある。父は帳面を閉じ、「おまえが継いだら話す」と言った。そうして、話さぬうちに死んだ。
わたしは意味も知らぬまま、毎年六月十五日、谷口に膳を七つ供えた。白飯と汁と香の物、箸を七膳。夜が明けると下げに行く。手のついた跡など、むろん一度もない。
種が知れたのは嘉永の末、四十を過ぎてからである。母が死んで仏壇を改めたとき、位牌を納めた厨子の底が、二重になっているのに気づいた。底板の下から、油紙に包んだ薄い手控えが出た。表書きはない。筆が初代のものであることは、化物帳の最初の数項と引き比べて知れた。
慶長の末年——藩祖がこの地に入る前、夜啼谷の奥には小さな館があり、この土地には別の主がいた。名は、書くまい。藩祖はその家と和議を結び、証にと、主の一族を新しい城の祝いに招いた。七人が谷を出て、城で盃を受け、帰りの谷口で、伏せてあった鉄砲に撃たれた。遺骸は谷に埋められ、館は焼かれ、家名は系図から削られた。あの家は、はじめから無かったことに、されたのである。
小姓がひとりだけ、沢伝いに逃げた。三年後の冬、その小姓は城の寝所に忍び入り、藩祖の枕元に座っていた。
手控えは、そのくだりだけ妙に細かい。短刀は抜いてあった、と初代は書いている。抜いてあったが、使わなかった。刺せば、その場の胸は晴れる。晴れて、それきりである。枕元に座って夜明けまで、殺すより重いものをこの男に負わせる工夫はないかと、それだけを考えていたのだという。
夜が白んで、藩祖が目を覚ました。悲鳴は上げなかったそうである。二人がどれほど黙り合っていたかは、書いてない。先に口を利いたのは藩祖で、望みを言え、と言った。
初代は、七人の名を過去帳に戻し、墓を建てていただきたい、と言った。藩祖は、それはならぬ、と言った。骨が出れば公儀に知れる。知れれば家中が潰れる。潰れれば、この飢えた土地は、また戦場に戻る。……代わりに、と藩祖は言ったそうである。あの谷に化物を棲ませよ。祟ると言い触らせよ。さすれば誰も谷を掘らぬ。誰も骨を暴かぬ。そして誰も、あの谷を忘れられぬ。
初代は書いている。「人は、詫びる代わりに怖れることがある。怖れは供養のいちばん卑しいかたちである。卑しいが、いちばん長持ちのするかたちでもある。線香は絶えるが、怖れは孫子の代まで絶えぬ」
初代はその朝から、この藩の化物役になった。夜啼谷の噂を拵え、ついでに領内の化物という化物を束ねて飼うことを家職とした。一匹だけを飼えば、その一匹が目立つからである。濡れ女も大入道も、言うてしまえば、夜啼谷を隠すための藪であった。
手控えの終いに、一行。
「膳の七つ目はわしの分である。わしはあの晩、谷で死んだ。いま生きておるのは、化物の飼い主である」
わたしの家は、藩に召し抱えられた家来ではなかった。藩の罪の、生き残った証人であった。三人扶持は禄ではない。二百年あまり払い続けられた、口止めの金である。
知って、勤めを変えたかといえば、何も変えなかった。翌年も六月十五日に、膳を七つ運んだ。ただ、供えて手を合わせるとき、七つ目の膳にだけ、頭の下げ方が変わった。

四
御一新のことは、手短に書く。
廃藩のとき、藩庁から達しがあって、家々の由緒書、秘事の類は焼き捨てよという。城の帳蔵でも三日三晩、紙を焼いたと聞く。わたしは庭で化物帳を焼いた。黒い字はよく燃えた。朱の字は、燃えたあとも、灰の上にしばらく字の形のまま残った。まことというものは、ああいうふうにできているのだと思う。
化物どもは、帳面より先に死にかけていた。御一新からこちら、化物の死ぬのは早かった。学校が建ち、新聞が来て、洋燈がともる。化物は闇を食うて生きるものだから、洋燈は化物の餌を奪ったのである。鵜ノ木淵には橋が架かり、欄干から覗く子供に、濡れ女はもう手招きをせぬ。樒峠には新道がついて、春も牛が通る。崩れ場は火薬で崩して均したそうである。嘘が守っていたものを、石と火薬が守る世になった。それはそれで、結構なことである。
膳だけは、続けた。藩が消え、扶持が消え、口止めの金の出所が消えても、六月十五日は毎年来るからである。
明治二十四年、谷に鉄道が通ることになった。
切通しの工事が谷口にかかって、ひと月目に骨が出た。六人分、と郡役所の役人は言った。人夫が鍬を置いて動かなくなった。夜啼谷の名は、他国者の人夫らの耳にも入っている。骨が出た晩から、飯場で夜の声を聞いたという者が続き、工事は止まった。役人は、土地の古老に話をさせて人夫を宥めることを思いつき、八十になるわたしが呼ばれた。世が世なら、これも化物役の勤めである。
切通しの赤土の上に、骨は筵を掛けて並べてあった。人夫が三十人ばかり、遠巻きに立っていた。役人はわたしに、祟りなどないと、年寄りの口から言わせたかったのだと思う。
わたしは、あべこべのことをした。生まれてはじめて、黒字ではなく、朱のほうを語ったのである。
これは化物の骨ではない。二百七十年前、非業に果てられた、さる家の方々である——そうしてわたしは、七人の名を、ひとつずつ申し上げた。名は、ここには書かぬ。書かぬが、あの谷口で口にすることなら、わたしの家の者は誰でもできる。二百七十年、そのために覚えてきた名である。
人夫らは鍬を置いたまま、こんどは手を合わせた。役人だけが帳面を繰って、弱った顔をした。六人分しかない、と役人は言う。七人と申されたが、ひとつ足りぬ。それでは仏が浮かばれぬと、人夫がまた言い出しかねない。
「七人目は」と、わたしは言った。「二百七十年前から、わたしの家の墓におります」
骨は谷の見える寺に葬られた。墓石にはひとつの家名と、七つの戒名が並んで刻まれている。石の代は、名を出さぬ約束で、旧藩公の御家から出た。あの御家も、二百七十年、覚えておられたのである。
工事は動き、谷は切り開かれ、汽車が通った。停車場は谷の名を貰わず、新しい村の名がついた。夜啼谷の名は、もう地図にない。
化物は、わたしの代で終いである。それでよい。嘘の勤めというものは、まことを渡すまでの仮の橋で、渡してしまえば、焼いてよいのである。
ただ、いまでも汽笛が谷を渡るのを聞くと、思うことがある。あれは二百七十年目に、ようやく声を出すことを許された者の——七人分と、そしてもうひとり分の、啼き声ではないかと。

— 完 —