第八號
詫び屋
心を込めたら、素人である
5,096字#滑稽#諷刺

一
昭和二十二年の秋、わたしは職を探して新橋の闇市を歩いていて、外れの露地で妙な看板に行き当たった。
間口一間の小店である。看板に、墨くろぐろとこうあった。——お詫び、承り〼。
のぞくと、六十がらみの爺さんがひとり、誰もいない土間に向かって、繰り返し頭を下げていた。下げては、上げる。剣術の素振りと寸分違わぬ調子で、お辞儀の稽古をしているのである。
「あの」
「詫びのご用かね」爺さんは頭を下げたままで言った。
「いえ、その——雇ってもらえませんか。何でもやります」
爺さんはゆっくり頭を上げ、わたしを爪先から眺めて、言った。
「謝ってみなさい」
「は?」
「何でもいい。近ごろ、ひとに悪いと思ったことを謝ってみなさい」
わたしは仕方なく、今朝の省線で婆さんの足を踏んだ一件を思い出し、精いっぱい済まなそうに詫びてみせた。爺さんは腕を組んで聞いていたが、やがてぽつりと言った。
「六十点」
「厳しいですね」
「心がこもっとった」
「それは、良いことなのでは」
「減点した理由が、それだ」
爺さんの言い分はこうである。悪いと思っている人間は、放っておいても自分で謝る。この店へ来るのは、悪いと思っておらん客だ。悪いと思わんまま、頭だけは下げねばならん。世間には、そういう用事が山ほどある。心がこもっては、商売にならん。
「明日から来なさい。給金は歩合、朝は辞儀の素振りが百本。それとな、婆さんの足を踏んだら、その場で謝るものだ。持って帰って稽古の種にするやつがあるか」
土間の壁に、値段表が掛かっていた。曰く、会釈五円。並の礼十円。最敬礼三十円。土下座百円、膝当て代は別。末尾に一行、涙は別料金。いちばん上の欄だけは品書きがなく、ただ「時価」とある。訊くと、そのうち分かる、と言われた。
爺さん——腰塚という——の最敬礼は、界隈で評判だった。上体がぴたりと水平に出る。仕舞いには近所の大工が、曲尺の代わりに背中を借りに来た、という話まである。本人に確かめると、否定も肯定もせず、刃物は貸し借りせんものだ、とだけ言った。辞儀は刃物のうちであるらしい。
弟子入りの初日に、心得を三つ教わった。一、心を込めるな。二、理由を言うな。理由は言い訳の親戚だ。三、相手より先に頭を上げるな。以上である。
ほかに、店の奥に古い紋付が一揃い、吊るしてあるのが目についた。腰塚が袖を通したところは、ついぞ見ない。訊くと、答えはこれも短かった。
「あれの客は、まだ来とらん」
二
商売は、繁盛していた。
口開けの客は、たいてい店賃の詫びである。大家に平身低頭してくれ、と亭主が来る。腰塚は必ず、ひとつだけ訊く。
「あんた、悪いと思っとるかね」
「これっぽっちも。払えんものは払えんのだから」
「よろしい。承った」
配給味噌に水を増した会社の男も来た。組合に詫びる係を探しているという。
「悪いと思っとるかね」
「役員一同、誰ひとり」
「上等だ。明日伺う」
腰塚の詫びは、見事なものだった。わたしは鞄持ちで随いて歩いたから知っている。畳に手をつき、あの水平の最敬礼が出て、座がしんとなる。理由は言わない。言い訳もしない。ただ、下げる。相手が根負けして、もういい、と言うまで、決して先に頭を上げない。もういい、と言わせたら、詫びは成立である。帰り道、腰塚は言った。
「詫びというものはな、中身で通るんじゃない。長さで通るんだ」
断られた客も見た。若い工員で、借り物の自転車を電柱にぶつけて、めっきりしょげている。持ち主に詫びてほしい、自分で謝ると泣いてしまうから、という。腰塚は例の一問を出した。
「悪いと思っとるかね」
「思っています。夜も眠れんくらい」
「なら、うちの出る幕じゃない」腰塚は湯呑を出してやりながら言った。「悪いと思っとる者の詫びは、つっかえても、泣いても、通る。玄人の細工は要らんのだ。行って、その通りに謝ってきなさい」
工員は帰った。銭は取らなかった。うちは、悪いと思っとらんお客の店だ、と腰塚は言った。
上得意は、横町の飲み屋の夫婦だった。亭主が女房への詫びを頼みに来て、翌日は女房が亭主への詫びを頼みに来る。二人とも、自分では決して謝らない。詫びはすべて腰塚を経由して、夫婦仲はいたって円満である。あれがこの国でいちばん進んだ夫婦の形かもしれん、と思う晩もあった。
三
冬の初めに、外套の立派な男が車で乗りつけた。代議士の秘書だという。先生が配給の一件で新聞に叩かれておる、ついては詫びの談話を、という註文である。腰塚は例の一問を出した。
「先生は、悪いと思っておいでかね」
秘書はきょとんとして、それは、どういう意味かね、と問い返した。腰塚はわたしに茶を淹れさせた。
「上等のお客だ」
ただし、この註文は代行ではない。先生ともなれば、頭は自前で下げねばならん。売るのは談話の文案と、記者の前での下げ方の指南である。腰塚は帳場の奥から、小さな抽斗のたくさんある、薬箪笥のようなものを担ぎ出してきた。抽斗を開けると紙片が詰まっていて、一枚に一句ずつ、こうある。——遺憾に存じます。不徳の致すところ。慚愧に堪えません。お騒がせして申し訳なく。今後かかることのなきよう。
「これは」
「詫びに聞こえて、詫びとらん言葉だ」腰塚は薬種でも量るように紙片を選り分けた。「遺憾、というのはな、残念だ、という意味だ。悪うございました、とは一言も言うとらん。言われた側が、勝手に詫びと聞く。聞いた側の錯覚まで、こっちの勘定じゃない」

秘書は帰り際に、声を低めて、先生がその場で涙のひとつもこぼせれば、と言い足した。
「涙は別料金」
腰塚は値段表を親指で示し、それから手拭を一本出した。端に刻み葱が縫い込んである。目頭を押さえる振りで、ひと嗅ぎするのだそうである。
勘定は、目の玉の飛び出るような額だった。土下座百円の店が、である。帳場でわたしが目を丸くしていると、腰塚は言った。
「頭を下げるのは、安い。下げんで済ませるのが、高いのだ。値段表のてっぺんを見なさい」
時価、とある品書きのない欄——あれは、頭を下げずに詫びを済ます細工の値段だったのである。
談話は評判になった。遺憾に存じます、不徳の致すところであります。新聞で読むと、なるほど立派に詫びて聞こえる。読み返すと、何ひとつ認めていない。先生は次の選挙も安泰だそうである。
その晩、腰塚は珍しく酒を出した。湯呑に一杯ずつの、いいカストリだった。
「わしはな、戦争のあいだも、これと同じ商売をしとった」
報道部の嘱託で、発表文の文案屋だったのだという。
「負け戦を、勝ち戦に読ませる商売だ。全滅と書かずに、玉砕と書く。退却と書かずに、転進と書く。……転進。ええ言葉だろう。逃げとるのに、字面だけは前へ進んどる」
「拵えたんですか。あなたが」
「拵えたとまでは言わん」腰塚は湯呑の中を見ていた。「じゃが、通りのええように磨いて、世間へ卸したのは、わしらだ。敗戦と書けば頭を下げにゃならんから、終戦と磨いた。あの二字は、いまも日本中で働いとる。うちの品でいちばんの出世頭だ。あんたも今朝、使うとったろう」
使っていた。何の気なしに、毎日使っている。
「戦争が済んですぐな、お偉方が、一億総懺悔、と言い出したときは、正直、舌を巻いた」腰塚はカストリをひと舐めした。「詫びというものはな、頭数で割り算すると消える。一億で割ってみなさい。一人あたり、きれいにゼロだ。全員で詫びれば、誰も詫びとらん。……わしでも、あそこまで薄うは延ばせん」
わたしは、訊いてしまった。店の一問を主人に向けたのは、後にも先にも、この晩だけである。
「悪いと、思わんのですか」
腰塚はしばらく黙って、それから湯呑を伏せた。
「思っとったら、こんな商売、三日で畳んどるよ」
四
年が明けて、寒のゆるんだ時分である。店の敷居の外に、風呂敷包みを抱えた小柄な婆さんが立った。客の切れ目を待つふうでもなく、長いこと、値段表をじっと見上げていた。
土間へ招じると、婆さんは風呂敷を解いた。出てきたのは、一枚の紙である。よほど触られたとみえて、折り目が毛羽立ち、綿のようになっていた。戦死の公報だった。
「伜のです」と婆さんは言った。「お詫びを、ひとつ、お願いに上がりました」
腰塚は例の一問を——出しかけて、途中で言い直した。聞き馴れたあの問いが、初めて形を変えた。
「お詫びなさりたいのは、あんたかね」
「いいえ」婆さんは首を振った。「していただきたいんです。伜に」
「詫びる方は、どなたです」
「それが」と、婆さんは困ったように笑った。「どこを訪ねても、おらんのですよ」
聞けば、方々を回ったのだそうである。村役場は復員の係へ行けと言い、復員の係は軍はもう無いと言い、都庁は国だと言い、国の役所は係が違うと言った。謝ってくれとは、どの窓口でも言い出せなかった。恩給の話と間違えられて、書類を三枚書かされただけだった。詫びの係というものは、どこの役所にも無いのだそうである。
「それで、こちらの看板をうかがいまして。……お代は、調べてまいりました」
婆さんは帯の間から、小さく畳んだ札と硬貨を出し、揃えて上がり框に置いた。きっかり百円あった。土下座の値である。この人は、詫びる者のいない詫びを、銭で購いに来たのである。
腰塚は公報を両手で受け取って、長いこと見ていた。それから、静かな声で訊いた。
「ご子息は、どちらで」
婆さんは島の名を言った。それから公報の文句を、目をつぶって諳んじた。何百遍も撫でた石のように、角の取れた諳んじ方だった。——右ハ昭和十八年十月、〇〇島方面ニ於テ転進作戦中、名誉ノ戦死ヲ遂ゲタルモノナリ。
「ひとつだけ、ずっと分からんのです」と婆さんは言った。「転進、いうのは、進むことでござんしょう。進んどる者が、なんで死にます」
土間が、しんとした。
腰塚は答えなかった。理由は言い訳の親戚だ、が口癖の人である。黙って立って、店の奥へ入った。出てきたときには、前掛けを外して、あの紋付を着ていた。
婆さんの前に、膝を揃えて座り直す。それから、これだけを言った。この人が詫びの前に口上を述べるのを、わたしは初めて聞いた。
「その公報の、転進の二字は——手前どもの、拵えた品でございます」
頭が、下がった。
水平ではなかった。水平を通り越して、両の手が土間につき、額が土間についた。曲尺を当てる者のない、誰にも見せたことのない角度だった。
婆さんは仰天して膝で退がり、それから、あわてて自分も頭を下げた。おやめくださいまし、ご丁寧に、恐れ入ります、と口の中で言いながら、公報を胸に抱いて、白髪頭を深々と下げた。
相手より先に頭を上げるな、が店の心得である。婆さんは婆さんで、田舎の律儀で、先に上げない。土間の上で、ふたつの白髪頭が、どちらも上がらないまま、長いこと下がっていた。七輪の薬缶が鳴りはじめ、鳴りやんでも、まだ下がっていた。
わたしは帳場で、盆を持ったまま立ちすくんでいた。やがて土間に、ぽつりと音がした。黒い染みがひとつ、ふたつ、増えるのが見えた。どちらの目から落ちたものかは、分からない。

先に頭を上げたのは、結局、婆さんの方だった。上げて、目もとを拭いて、それから、妙なことを言った。
「伜に頭を下げてくだすったのは、あんたさまが、初めてでございます」
四年前に死んだ息子に、まだ誰ひとり、頭ひとつ下げていなかったのである。
婆さんは百円を置いていこうとした。腰塚は受け取らなかった。押し問答の末に婆さんが折れ、銭をしまい、幾度も辞儀をして帰っていった。その小さな背中が露地を曲がって見えなくなるまで、腰塚は店先に立って、頭を下げていた。
その晩、腰塚は看板を下ろした。文字どおり、釘から外して、土間に下ろしたのである。
「畳むんですか」
「畳む」
「なぜです」
「今日のは、心がこもった」腰塚は看板の埃を袖で拭いた。「心のこもった詫びをするようじゃ、素人だ。素人が、玄人の看板を出しとくわけにはいかん」
※
店を畳んで二年ほどで、腰塚は死んだ。紋付を着たのは、わたしの知る限り、あの一度きりである。
わたしはいま、別の商売で食っている。新聞を開けば、遺憾に存じます、不徳の致すところ、の活字が躍らない日はない。先生方の頭の下げ方も、どこかで見た型ばかりだ。店は畳んだが、商売の方は、国じゅうで繁盛しているらしい。
形見に、あの値段表を貰った。行李の底に、いまも入れてある。末尾に一行、涙は別料金、とある。
あの日、土間に落ちた涙の勘定を、わたしはいつか、どこかへ届けねばならんと思っている。ただ、宛名が分からない。役所に訊けば、きっと、こう言われるのである。
——係が、違います。
— 完 —