第二號
点呼
名簿より、いつも一人だけ多い
3,879字#怪奇#復員

一
その男に会ったのは、昭和二十四年八月の終わり、有楽町のガード下である。
わたしは当時、誌名を口にするのも憚られるような雑誌の聞き書きで食っていた。実話と銘打ちさえすれば、幽霊でも人魚でも載る。編集長の注文は決まっていて、復員者の怪談を取ってこい、南方がいい、読者はまだ南方に飽きとらん——飽きとらんのは編集長である。
その晩は運がなかった。ガード下を端から端まで歩いて、拾えた話といえば、死んだ女房が配給の列に並んでいたという、どこかで聞いたような代物ばかりである。頭上を省線が通るたび、頭の芯まで響く音で鉄橋が唸り、吊るした裸電球が揺れた。わたしは諦めて、看板がわりの縄暖簾をくぐった。
飲み屋というより、板を渡しただけの店だった。カーバイド灯が白く燃え、酸っぱい湯気の向こうに、復員服の男がひとり、背筋を立てて座っていた。復員服など珍しくもない時分だが、その背筋がわたしの目を引いた。酔って崩れる者ばかりの店で、その男だけが、まだ何かの隊列に立っているように見えたのだ。
わたしは隣に腰かけ、カストリを二つ頼んで、片方を男の前に置いた。男は椀を見て、それからわたしを見た。
「これで二合になる。いただくが、次は要りませんよ。三合は飲まんのです」
「強くないんですか」
「潰れるでしょう、三合は」男は笑わなかった。「潰れると、返事ができん」
「返事?」
「点呼ですよ」と男は言った。「毎晩午前二時に、点呼がありますんで」
二
男は諏訪と名乗った。ルソン島から帰った、と言った。
昭和二十年の四月に山へ入ったとき、中隊はまだ百七十人いたそうである。八月には、立って歩ける者が二十六人になっていた。戦って減ったのではない。飢えとマラリヤで、寝たまま順に減った。
「それでも点呼は毎晩やりました。囁き声でね。敵に聞こえるから、声は出せん。中隊長が名簿を胸に入れて持っとって、暗い中で、名前だけを順に呼ぶんです」
死んだ者の名前も、名簿から消さなかった。呼ばれれば、生きている誰かが代わりに返事をする。代返です、と男は言った。学校のような言葉が、妙に生々しく聞こえた。
「はじめは人数をごまかす方便だったのかもしれません。だが山の中じゃ、もう誰に対してごまかすこともない。それでも呼んだ。古い軍曹が言うんです。南方では、名を呼ばれて返事をせん者は、魂をその場に置いていかれる。逆に言やあ、返事さえあれば、名前は隊と一緒に歩ける。体は埋めていくが、名前だけは内地へ連れて帰れる、と」
諏訪には矢代という同年兵がいた。神田の活版屋の倅で、手先が器用で、飯盒の蓋ひとつで何でもこしらえた。字を組む人間は指先で物を憶える、と言って、暗闇の中でも触っただけで木の葉の種類を言い当てた。内地へ帰ったら、まず湯に入って、それから親父の工場で自分の名刺を組むのだ、と口癖のように言っていたそうである。
その矢代が五月の雨の晩にマラリヤで倒れた。三日三晩、高い熱で震えて、譫言に活字を拾う手つきをした。空をつまんでは、見えない箱に並べる。あれは自分の名刺を組んどったんでしょう、と男は言った。三日目の夜、ふっと熱の引いた顔になり、諏訪の袖を握って言った。
「諏訪。おれの名前を、頼む。……返事だけで、ええから」
翌る晩から、諏訪は矢代の名に返事をした。矢代、と囁かれるたび、おります、と答えた。
「妙なもんでね。ひと月もすると、生きとる人数より返事の数のほうがずっと多い。当たり前です、半分は代返だ。一人が三人ぶんも四人ぶんも返事をする。真っ暗の中で聞いとると、中隊がまだ百七十人おるように聞こえるんですよ。……それがね、ある晩から、勘定が合わんようになった」
「合わない?」
「多いんです。ひとつ」男は椀の縁を指でなぞった。「代返の分をぜんぶ差し引いても、ひとつ多い。名簿の最後まで呼び終わって、中隊長が黙る。その黙った後の暗がりで——誰も呼ばれとらんのに、おります、と返事だけがあるんです」
誰の声か、確かめた者はいなかった。確かめようとした者がいなかったのだと思う、と男は言い直した。
「七月に、その中隊長が斃れました。名簿は軍袴の胸に入れたまま、いっしょに埋めた。これで点呼も終いだと、正直、ほっとした者もおったと思います。名前を呼ばれるいうことは、生きて返事をせにゃならんいうことですから。それはそれで、疲れるんです」
「終わらなかったんですね」
「次の晩も、いつもの刻限に始まりました。同じ囁き声で、同じ順番で」男は椀の底を見ていた。「名簿は土の下です。それでも順番を間違えん。考えてみりゃ当たり前で、あの人は仕舞いのほうは、名簿など見ちゃおらんかった。ぜんぶ、そらで呼んどりましたから」

三
終戦は山の中で聞いた。収容所で一年を過ごし、昭和二十一年の暮れに復員船に乗った。
「千二百人ほど乗っとりました。夜、甲板で人員を数えると、一人多いんです。何度数えても多い。班を割り直しても多い。しまいに船室へ全員を入れて、出入口で数えながら通したそうですが、それでも多かった。船員に言うと、笑っとりました。復員船はどれもそうです、と。どの船も、名簿より一人多いまま内地へ着くんだそうです。着いてから数えると、ぴたりと合っとる。降りた誰かが余ったという話も、聞かんそうです」
余った一人はどこへ降りるのか、とわたしは訊いた。男は、さあ、と言った。それきりその話はしなかった。
浦賀で上がり、東京へ戻って、焼け残りの長屋に部屋を借りた。その最初の晩からです、と男は言った。
「午前二時に、目が覚める。路地でね、点呼をやっとるんです。あの囁き声で。中隊長の声ですよ。順に名前を呼んでいく。知った名前ばかりだ。みんな、山で埋めてきた名前です。呼ばれるたび、路地のあちこちで、おります、おります、と返事がある」
「そして、矢代の名が呼ばれる」
「ええ」男は頷いた。「わたしが返事せんと、誰も返事せんのです。だから起きて、窓を細く開けて、返事をします。矢代、おります、と。それで声は次へ移る。三年になりますが、欠かしたのは、一度きりです」
「一度」
「昭和二十二年の冬でした。マラリヤというやつは、内地へ帰ってもぶり返すんです。その晩は熱が出て、体が動かんかった。声は聞こえとるんですよ。矢代、矢代と呼んどる。呼ぶたびに近づいてくる。路地の入口から、どぶ板の上へ、窓の下へ。しまいには、この耳のすぐ横で呼んどりました。囁き声いうのは、妙なもんですな。遠くで聞いても近くで聞いても、同じ大きさなんです」
男はそこで、少しのあいだ黙った。
「朝、熱が下がって目が覚めると、喉が嗄れとりました。一晩じゅう返事をし続けた者の喉です。わたしは返事をしとらん。できんかった。……なら、誰がわたしの喉で返事をしたのか。それを考えるのが嫌で、それからは熱冷ましを枕元に置いて寝ます。三合飲むと潰れて起きられん。飲まんのは、それだけの話です」
四
気がつくと、店の親父は鍋を洗い終えて、カーバイド灯を細くしていた。省線の終電はとうに出た時刻である。男は雑嚢を引き寄せ、居住まいを直した。
「来ますよ」と男は言った。
路地というほどの路地でもない。ガードの下の、暗がりが溜まっているだけの隙間だ。そこから、聞こえた。囁き声、と書くほかない。低く、事務的で、少しも恐ろしげのない声が、名前をひとつ、またひとつ、呼んでいく。そのたびに、暗がりの奥行きが返事をした。おります。おります。声は若かったり、老けていたりした。
「矢代」
と、声が言った。
「矢代。おります」
と、隣の男が答えた。三年間そうしてきた者の、揺るぎのない返事だった。
声は少し間を置いた。それから、
「諏訪」
と言った。
男の唇が動きかけるのを、わたしは確かに見た。だがそれより先に——暗がりの奥から、返事があった。
「諏訪。おります」
若い、乾いた声だった。
男は目をつぶった。咎める様子はなかった。長く連れ添った習慣に対するような、諦めた顔だった。
「今の声は」と、わたしはやっと言った。自分の声が掠れているのがわかった。
「矢代です」と男は言った。「律儀な男でしてね。……わたしはマラリヤで三晩、意識を失くしたことがある。その三晩、仲間がわたしの名に代返してくれとったんです。ありがたい話です。ありがたい話ですが——三晩ぶん、わたしの名前は、向こうの名簿に載ってしもうた。以来、あっちでも呼ばれる。あっちでは、矢代が返事をしてくれとる。どっちの名簿が本物か、それは、わたしにはもう分からんのです」
男は椀に残ったカストリを飲み干し、勘定を板の上に置いて、暗がりとは反対の方角へ歩いて行った。背筋は、最後まで伸びていた。

※
後日、記事にするのに名前の字を確かめようと、世話課で復員名簿を繰ってもらった。
諏訪の名はあった。昭和二十年七月、ルソン島にて戦病死、とある。
係の男は、転記の誤りでしょう、と言った。生きて帰った者の名簿にも、同じ名前がちゃんとあったからである。よくあるんですか、と訊くと、係は綴じ紐を結び直しながら、こともなげに答えた。
「ままありますよ。なにしろ数が数だ。……不思議なもんでね、どっちかを消すと、消したほうが正しかったような気が、あとからしてくるんです。だからうちじゃ、両方そのままにしとくんです」
記事は書いたが、載らなかった。作り話くさい、というのが編集長の評である。実話はもっと嘘らしいものだ、と。
それ以来、わたしは夜なかに名を呼ばれても、すぐには返事をしないことにしている。
ひと呼吸だけ、待つ。
先に返事をする者が、いないかどうか。
— 完 —