第九號
絶版
絶版は、自然には起こらない
4,210字#推理#古本

一
本というものは、著者より長生きをする。
古本屋は、その長生きの分け前で食っている商売である。神田の外れに小さい店を構えて二十年、震災の焼けも戦災の焼けも、荷車一台で逃げてしのいだ。売り物は逃げるが、商売は焼けない。人が読み、人が死に、蔵書が湯水のように市へ流れてくるかぎり、古本屋は潰れないのである。
昭和二十三年の、秋のことだ。
店の表に、十円均一の台を出している。ぞっき本と端本の吹き溜まりで、そのころ台の主になっていたのは、戦時中の時局物だった。『決戦生活訓』だの『少国民の道』だの——ついこのあいだまで、どこの茶の間にも一冊はあった手合いである。いまは誰も、手に取るどころか、目を合わせるのも厭がる。処分の蔵書には必ず混じって入ってくるくせに、出て行く先だけがない。しまいには目方で仙花紙屋に引き取らせるのが関の山だった。
その台の前に、外套の男が立った。
五十がらみの、上等だが古びた外套だった。男は時局物ばかりを七冊抜き出して奥へ持って来ると、値切りもせず七十円を数えて置いた。数える指の、右の中指の第一関節に、ペン胼胝が硬く盛り上がっているのが見えた。それから男は、妙なことを訊いた。
「この手のものは、まだありますか。……同じ本が重なっていても構いません。むしろ、あるだけいただきたい」
古本の客の注文は、たいてい二た通りである。安く欲しいか、無いものが欲しいか。同じ本をあるだけ、という注文は、二十年で初めてだった。蒐集家は、同じ本を二冊買わない。では誰が買うのか——そのときのわたしには、思い当たる商売がなかった。
男は奥から出した分も引き取り、包ませもせず、風呂敷に自分で括った。括りながら、一冊ずつ奥付だけを検めるのを、わたしは見ていた。表紙も本文も見ない。奥付の、刷の数字だけを見る。本の中身に用のない手つきで、そのくせ本の扱いだけは、妙に堂に入っていた。
二
男はそれから、月に一度ほど現れた。
二度目からは書き付けを持って来た。癖のない楷書で書名が十ばかり並んでいて、探せるか、と言う。探して仕入れるのは商売のうちである。引き受けた。並ぶのはやはり時局物、しかし手当たり次第ではない。著者は決まって、南条鉄心、橘一空、久我山八朗——ほかにふたつ、いずれも聞き覚えの薄い名前の、都合五人のうちの誰かだった。
一度、こんなことがあった。男が台の一冊を検めていて、ふと外套から銀色の鉛筆を出し、頁の隅へ小さく何か書き入れて、はっと手を止めた。それから何食わぬ顔で、その一冊だけ先に買って帰った。あとで別口で入った同じ本を検めると、その頁には誤植がある。植字が「戦意」を「戦慧」と拾い損ねた箇所だ。男は癖で、直したのである。校正という仕事は、指に住みつくものらしい。
客の詮索はしない流儀だが、頭の中までは流儀の外である。わたしはいくつか説を立てた。
仙花紙屋の元締め、というのが最初の説だが、算盤が合わない。目方で潰す紙に著者を選ぶ馬鹿はないし、十円均一を言い値で買う紙屋もない。次に、進駐軍の没収がらみの調べ物という説。これも据わりが悪い。調べ物なら一冊あれば足りる。同じ本をあるだけ、の説明がつかない。軍国の世が忘れられぬ好き者、という説は、いちばん早く消えた。あの手つきには、懐かしがる湿り気が爪の先ほどもない。
説が尽きたので、わたしは売り物を読むことにした。古本屋が売り物を読み出したらその月は仕舞いだというが、幸い、誰も買わない本である。
読んでみると、これが妙に、達者だった。
たとえば『大東亜の朝』——南条鉄心、昭和十七年刊。勇ましい題に似ず文章は静かで、ところどころ、はっとするほど巧い。中に、こんな一節がある。
——歴史とは、誤植の多い書物である。版を改めるたびに、人はまへの版の誤りを嗤ひ、あたらしい誤りを刷る。
うまいことを言う、と思った。思って数日して、橘一空の『決戦生活訓』を読んでいて、椅子から尻が浮いた。同じ一節が、そっくりそのまま出てくるのである。一字も違わない。
文人が手前の文句を使い回すのは珍しくない。だがそれは、手前の文句に限る。別人の本に同じ文句があるなら話は簡単で、どちらかが盗んだのだ。——さもなければ、別人ではないのだ。
後記を見比べて、腑に落ちた。『大東亜の朝』の後記に曰く、本書成るに当り畏友橘一空氏の斧正を得た。『決戦生活訓』の後記に曰く、畏友久我山八朗氏の斧正を得た。久我山八朗の『少国民の道』の後記に曰く、畏友南条鉄心氏の——。
三人が、輪になって礼を言い合っている。仲のいいことである。気になって、残るふたりの本も市で探して取り寄せた。後記を開くと、ふたりとも、ちゃんと輪の中にいた。五人で、ひとつの輪である。そしてこの五人、どの著者名鑑にも、どの雑誌の消息欄にも、顔写真の一枚も、お目にかかった例がない。

三
年が明けて、二十四年の春になった。
そのころ論壇に、売り出しの評論家がいた。氷室辰雄。『民主主義の朝』という本が評判で、新刊を扱わぬうちのような店にまで、探しに来る客があるほどだった。わたしは名前だけ知っていた。
四月の新聞の文化欄が、その評判の書きぶりを一節、引いていた。朝飯の後で読んで、わたしは湯呑を持ったまま、しばらく動けなかった。
——歴史とは、誤植の多い書物である。版を改めるたびに、人は前の版の誤りを嗤い、新しい誤りを刷る。
一言一句、あの文句である。ただ、旧仮名が新仮名に改まっている。文句はそのままに、仮名遣いだけが民主化されていた。
その晩、店を閉ててから、机に五人の本を並べた。文句の使い回しがある。礼の言い合いの輪がある。奥付を並べれば、五人あわせて昭和十六年から十九年までに二十三冊——多作の五人組に見えるが、どの年を取っても、五人の刊行月は互いに重ならない。まるでひとつの万年筆の都合で順番を待っていたような並びである。ひとりなら、書ける量だ。現に、書いたのだ。それから——気づいてしまえば子供だましだが、『大東亜の朝』と『民主主義の朝』。題の付け方の癖まで、律儀に使い回している。五つの名前は五枚の着物で、中身はひとりだ。そして六枚目の着物が、いま、評判を取っている。
男の注文の意味も、これで解けた。あの男は、蒐めているのではない。引き揚げているのだ。世の中から、五人の著者を一冊残らず。絶版というものは、売れない本が自然になるものだと、わたしは二十年思ってきた。そうでない絶版も、あるのである。
わたしの商売は、本が著者より長生きすることで成り立っている。あの男の商売は、逆である。本を、著者より先に死なせるのだ。
次に来たら確かめてみようと決めた。罠というほどのものではない。古本屋の、意地である。
五月の雨の日に、男は来た。書き付けの本を三冊渡し、代を受け取りながら、わたしは世間話の調子で言った。
「時局物にも、たまに巧い文句がありますな。……歴史とは誤植の多い書物である、版を改めるたびに、人は前の版の誤りを繰り返す——でしたか」
「刷る、です」
と、男は言った。言ってから、雨だれの音が三つ四つ落ちるあいだ、黙った。それから、観念したというより、校了を打った者の顔で息をついた。
「……嗤い、新しい誤りを刷る。引用は正確に願います。あれはわたしの、数少ない自慢の文句です」
四
男は初めて、机の前の丸椅子に腰を下ろした。隠す気は、もともと大してなかったのかもしれない。二十年ぶりに校正刷りを声に出して読む男のように、すらすらと語った。
戦時中、五つの名前で時局物を書いた。版元がそのつど名前をこしらえ、男はそのつど文章を納めた。思想を売った覚えはない、と男は言った。
「文章を売ったんです。思想は毎度、版元が持って来なさった。こちらは、寸法どおりに仕立てるだけです」
終戦で五人の著者は職を失い、男は六人目をこしらえた。それが誰かは、もう訊くまでもない。
「追放の網には、かかりませんでした。五人とも戸籍がない。ないが——本は残るのです、御主人。本というやつは、実にしぶとく残る。誰かが古い一冊を、新しい一冊の隣に並べてみるだけで、六人目は仕舞いになる。……絶版というのはね、自然には起こらんのです。手間と銭のかかる、立派な人業です」
「奥付ばかり見ておいででしたな」
「刷数を見れば、何冊この世へ出たかの見当がつく。空襲でどこの倉が何冊ごと焼けたかも、頭に入っております。焼けた分は、火が仕事をしてくれた勘定です。……残りは、あと十七冊」
燃さないのか、と訊くと、男は初めて心外そうな顔をした。
「校正者は、本を燃しません。買い上げて、蔵うのです。それに、燃した本は、燃したという話が残る。買われた本は、買われたという話も残らない」
わたしは黙って立ち、奥の棚から五人の著者の在庫を、あるだけ机に積んだ。男は一冊ずつ奥付を検め、勘定を訊いた。十円の本に、わたしは五十円の値を言った。男は眉ひとつ動かさず、耳を揃えて払った。あの男にとって、あれは古本の値段ではない。埋葬の費用である。
「これで神田の均一台から、五人は消えました」帰りぎわ、雨の上がった表を見て、男は言った。「風向きを書くのが、わたしの商売です。風は、誰にも咎められません。咎められるのは、風見だけです。だから風見は、ときどき取り替えるのです」
わたしは、売った。古本屋だからである。ただ、勘定のあいだ『大東亜の朝』の一冊だけを机の下の膝に伏せておいたことは、言わなかった。それも、古本屋だからである。

※
昭和二十六年の春、店に封書が届いた。癖のない楷書の書き付けが一枚、入っていた。探してほしい書名が、十ばかり並んでいる。
今度のは、どれも民主主義の本である。いちばん上に、『民主主義の朝』とあった。
新聞は毎日、追放解除だの逆コースだのと書いている。風はまた、変わりはじめているらしい。七人目がもう、どこかで何かの「朝」を書き出しているのかどうか、それはわたしの知ったことではない。
わたしは返事を書く前に、膝に伏せておいた『大東亜の朝』を書架のいちばん目立つ棚へ移して、値札を百五十円に付け替えた。あの男は、いつか必ず、これを買いに来なければならない。いくらの値が付いていてもである。
本は、著者より長生きをする。長生きの分け前は、こちらでいただく。なに、当人に教わった商いである。——絶版は、自然には起こらないのである。
— 完 —