カストリ文庫
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第五號

残余時間

公報の隅に朱印で、殘餘時無シ、とだけあつた

4,155字#空想科学#闇市

停時の夜、彫像のように停まった闇市の路地を、朱く灯る懐中時計を掲げた外套の男がひとり歩いてゆく
挿繪 停時の夜、彫像のように停まった闇市の路地を、朱く灯る懐中時計を掲げた外套の男がひとり歩いてゆく

私の店に看板はない。神田の時計横丁を奥へ入り、突き当たりの傘屋の脇の階段をのぼった二階である。机がひとつ、椅子がふたつ、抽斗ひきだしに懐中時計が三十ばかり。商売にはそれで足りる。

商っているのは時計ではない。中身のほうである。

はじまりは、昭和十八年の秋と言えばたいてい通じる。鍋釜と寺の鐘の次に、お上が持って行ったのは歳月だった。時間供出令。国民は余命のうちから歳月を献じ、時間局の技手がこれを移時器いじきで巻き取って、発条ぜんまいに蓄える。蓄えた時間は軍需に注がれた。飛行機は油で飛ぶのではない、若い者の五十年で飛ぶのである。大本営はそうは言わなかったが、注ぐ側の人間はみな知っていた。

負けると、倉庫で唸っていた未使用時は片端から接収された。おかげで今度は、時間が配給になった。一人一日、二十一時間。足りない三時間は賠償に取られ、毎夜、丑の刻にまとめて引かれる。そのあいだ人は停まる。停時ていじという。停電とちがって、停まった当人は停まったことに気づかない。ただ朝になると、夜が妙に薄い。

停まるのは、負けた側だけである。丑の刻の東京を、進駐軍のジープだけが走る。負けるというのは、つまりそういうことである。

配給で足りぬ者は闇へ来る。私の稼業は移し巻きといって、ひとの発条からひとの発条へ、生きいきどきを移す。もとは時間局の技手だから、腕は確かである。効能は三つ。配給の目減りを補うこと。死にかけの病人をつなぐこと。それから、身に巻いた闇の時間は国の時計の外にあるから、停時のあいだも動けること。停まった東京を歩きたがる酔狂が、世の中には案外いる。

もうひとつ、重ねるという使い方がある。おのれの一日の上に他人の一日を重ねて、倍の濃さで生きるのである。勧めたことは一度もない。急いで死にたい者のすることだと、私は思っていた。

素人はよく、時間ならなんでも同じだろうと言う。違うのである。時間はただの長さではない。持ち主がこれから生きるはずだった見込みというものが、畳んだまま挟まっている。他人の時間を身に巻いて使えば、夜ごと、その見込みが夢に出る。見たこともない路地。名を知らぬ女房。生まれなかった子の泣き声。若い時間ほど見込みが濃く、夢が甘い。だから闇値は、若いほど高い。年寄りの時間は見込みが薄く、夢もほとんど出ない。そのかわり静かでよく眠れると言って、わざわざ安いほうを買っていく客も、たまにある。

裸電球の下、竜頭を突き合わせた二つの懐中時計のあいだで移し巻きをする職人の手元。抽斗には時計が並ぶ
挿繪 裸電球の下、竜頭を突き合わせた二つの懐中時計のあいだで移し巻きをする職人の手元。抽斗には時計が並ぶ

仕入れは月に二度、復員局の筋から来る。留吉という、もとは局の倉庫番だった男が、風呂敷に懐中時計を包んで階段を上がってくる。

「戦没者未使用時。上物だ」

戦地で死んだ者の供出時は、注がれる先を失って、そのまま倉庫に眠る。遺族に返す法はまだない。返す法ができる前に、こうして横へ流れる。二十歳前後の、まるごと手つかずの五十年。闇でこれより上等の品はない。

検分には、竜頭りゅうずを額に当てる。一秒だけ、その時間を使うのである。使えば見込みの端がほどけて、夢の切れ端が額の裏を過ぎる。海。畑。よく笑う女。だいたいそんなものだ。私は切れ端の濃さで値を付ける。

その日の三箇目で、手が停まった。

口笛だった。

昭和十九年の冬、私は技手として九州の基地にいた。飛行服の少年たちを一列に並べ、片端から巻き取るのが仕事だった。移時器は写字台ほどの機械で、椅子に掛けさせ、手首に革の帯を締め、把手を回すと、その者の余命が音もなく発条へ移ってゆく。規則で、巻き取りのあいだ技手は口をきいてはならない。発条が乱れるからである。

たいていの少年は目をつぶっていた。ひとりだけ、口笛を吹いた少年がいた。知らない唄だった。ゆっくりした、田舎くさい、いい唄だった。針が停まるまで吹きつづけて、五十三年と四月が、私の膝の上の発条に移った。帳面には日まで書かされた。五十三年四月と十一日。人の余命が米や炭のように桁で書けるということに、そのころの私は、もう驚かなくなっていた。

発条を箱へ納めるとき、五十三年は、羽のように軽かった。時間は、使われるまで重さがないのである。

少年は袖を直しながら、ふしぎそうに自分の胸を見た。

「時間をぜんぶお上に上げても、心臓は動くんですね」

動くとも、と私は言った。規則の巻き取りは、もう済んでいた。

「じゃあ俺は、いまなにで動いてるんだろうなあ」

少年たちの機体は、同期の供出時を焚いて飛んだ。自分の時間は自分には注げない。すでに張ってある発条には巻き足せぬ、というのが局の理屈である。だから彼らは互いの五十年を積んで飛び、おのれの五十年は内地の倉庫で終戦を迎えた。

三箇目の巻きから、その唄がした。検分の一秒のあいだ、額の裏でだれかがゆっくり口笛を吹いた。名簿は焼けている。留吉に聞いても、出どころは倉庫の棚の番号までしか辿れない。それでも私は、机の上のそれを、長いこと見ていた。

売り物にするつもりで、しなかった。抽斗のいちばん奥に入れた。

冬の格納庫。椅子に掛けて口笛を吹く少年飛行兵の手首から、把手を回す技手の機械へ余命が巻き取られてゆく
挿繪 冬の格納庫。椅子に掛けて口笛を吹く少年飛行兵の手首から、把手を回す技手の機械へ余命が巻き取られてゆく

その年の暮れに、女が階段を上がってきた。六十絡みの、色の抜けた襟巻きをした女で、階段の途中から荒い息が聞こえた。

女は椅子に掛けると、帯のあいだから紙を出した。戦死公報である。畳み皺が深く、触ればそこからほどけてしまいそうだった。息子の名があり、南方の海の名があり、隅に役所の朱印で、こうあった。

殘餘時無シ。

「相場を知りたくてね」と女は言った。「この齢で恥ずかしいが、買いにきたんです」

長生きがしたいわけではない、と女は先回りして言った。息子には時間の遺産がない。ぜんぶお国に上げてしまって、上げた先で使われもせず、どこへ行ったか役所も知らぬという。それなら、と女は言った。

「誰のでもいい、若い人の時間を分けてもらって、あの子の分まで生きようと思ったの。あの子が見るはずだったものを、わたしが代わりに見てやろうと思って。母親が見ておけば、あの子は見たも同然でしょう」

理屈になっていない。なっていないが、この稼業でいちばんよく聞く理屈でもある。

私は値段を聞かれる前に、抽斗の奥から、あの一箇を出していた。自分でも、出すつもりで出したのかどうか、わからない。

出どころは言えない。言えば留吉の線が飛ぶし、だいいち証しがない。名簿は焼け、公報の名と巻きの癖を突き合わせる法は、この世のどこにもないのである。私はただ、若い上物だ、とだけ言った。

「高いんでしょう」

「しけた時計となら、換えてもいい」

女は帯のあいだから、竜頭の欠けた男物の時計を出した。息子の形見だという。中身は空で、発条は錆びていた。私はそれを受け取り、あの五十三年を女の時計へ移して、渡した。留吉には、検分でしくじって流したと言った。

女は、春と秋に一度ずつ、階段を上がってくるようになった。礼だと言って、ふかし芋だの配給の残りの砂糖だのを置いてゆき、それから、夢の話をする。

「知らない町で、若い人が働いてるの。旋盤みたいな機械の前でね。手つきのいい子でね」

「所帯を持ったのよ、その子。相手は目の大きい、よく笑う人。式も何もない、鍋がふたつになっただけの所帯だけど」

「女の子が生まれたの。抱き方が下手でねえ、見ていて冷や冷やする」

「一度ね、夢の隅に、わたしみたいな後ろ姿がいたの。あの子の見込みの中のわたしは、まだ五十そこそこで、達者に動くのよ。おかしいでしょう。こっちは階段ひとつで、この息なのに」

前の持ち主の見込みでしょうか、と女は聞いた。そういうこともあります、と私は答えた。それ以上は、どちらも言わなかった。

ただ一度だけ、帰りぎわに、女は階段の上で振り向いた。

「その子ね、口笛がうまいの。ゆっくりした、田舎くさい唄。――うちの息子とおんなじ唄なんですよ。妙なこともあるものね」

私が黙っていると、女は先に目を伏せて、世の中には似た唄が多いから、と自分で畳んで、下りていった。それきりこの話は、二人のあいだに出なかった。

夜の長屋で薄く笑って眠る老母。枕元の畳に懐中時計が置かれ、その上に赤子を抱く若い工員の夢が煙のように滲む
挿繪 夜の長屋で薄く笑って眠る老母。枕元の畳に懐中時計が置かれ、その上に赤子を抱く若い工員の夢が煙のように滲む

五年目の冬に、女は来なかった。かわりに長屋の差配だという男が上がってきて、風呂敷から時計を出した。

「婆さんの遺言でね。時計横丁の先生に返しておくれ、あれは借り物だから、と」

借り物、という言い方を、私はしばらく胸の中で転がした。女は知っていたのである。おそらくは、あの階段の上の日から。知っていて、証しを求めず、名を突き合わせず、五年、看取るように使ったのである。

検分した。五十三年と四月あった発条が、四十八年に減っていた。勘定して、わかった。婆さんは、配給の目減りを補ったのではない。おのれの一日の上にあの子の一日を重ねて、毎日を二人分ずつ生きたのである。急いで死にたい者のすることだと、私は思っていた。違った。急いで、起こしてやりたい者のすることだった。

見込みというものは、使った分だけ起こる。五年。婆さんの夢の中で、あの子は旋盤工になり、所帯を持ち、娘を抱いた。手を経た発条は、心なしか重くなっていた。五年ぶん、起こったからである。

残りの四十八年を、返す先は、もうどこにもない。

私自身の発条は、とうに底が見えている。技手というのは因果な商売で、戦時中は範を示すために人一倍供出し、戦後は商売物の目減りをおのれの身で埋める。勘定したことはないが、配給だけで暮らせば、あと二年か三年というところだろう。

私は少年の四十八年を、自分の時計に移した。移し賃は、取りようがない。

ゆうべ、丑の刻に、私は表へ出た。

停時の東京というものを、客に売るばかりで、自分で歩いたことはなかったのである。夜気の中で、街はきれいに停まっていた。屋台の湯気が湯気のかたちのまま停まり、犬が片足を上げたまま停まり、終電を逃した男が、電柱にもたれた居眠りの姿勢のまま停まっていた。遠くでジープの音がして、消えた。国の時計の外を、私ひとりが歩いた。

胸の隠しで、時計が鳴っている。

近ごろ夢に、若い旋盤工が出る。娘はまだ乳飲み子である。抱き方は、もううまい。仕事帰りの堀端で、腕の中の娘に、あの唄をゆっくり吹いて聞かせる。婆さんの夢の続きが、律儀に、私のところへ回ってきたのである。四十八年。急いで使う気はない。だが使い切れなければ、また誰かへ移せばよいのである。あの子の五十三年は、最後の一秒まで、誰かの夢で起こしてやる。

停まった街の真ん中で、私は下手な口笛を吹いた。

唄の名は、まだ知らない。

— 完 —

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